学研の「学習」と「科学」の休刊
”学研の「学習」と「科学」が休刊”という記事をみました。ショックなニュースです。
私が技術者になろうと思ったきっかけが「学研の科学」付録のゲルマラジオでした。
朧な記憶では、それは台座が紙で、プラスチックの芯に巻くエナメル線のコイルと固定コンデンサ、ダイオード、イヤホンという組み合わせで、見かけはちょっと冴えないもの(コスト制約の中でハンダ付けもなしで子供にも作れるように工夫されたスタッフには申し訳ありません。)だったと思います。作成中は特に大きな思い入れはなかったと覚えています。
そこですんなり動いていたら私の人生はちょっと違ったかもしれません。でも実際はなーんにも聞こえまず、そこからが子供なりの苦労の始まりでした。「なぜ聞こえないのか?」、科学の記事を隅々まで読んで、アンテナに着目して、「長さがいるみたいだな」で、物置にあった針金を引き出してきて、家の塀に這わせて。。。。でも駄目で。「高さもいるのかも」で、針金を物干し竿につけて竿を真上に立てて。。。。やっぱり駄目で。波長なんてわかりませんでしたし。そのころは中継所も少なくて私の家のあたりでは電波も弱かったのでしょう。
最終的には5つ上の兄が持っていた「子供の科学」「模型とラジオ」の記事を参考にしてコイルを巻きなおして、市内唯一のパーツショップでバリコンを買って、アンテナも電灯線アンテナにして。。。。でも全然聞こえず。。。。
多分接触不良だったのでしょう。あきらめきれずに色々いじりまわしているうちにようやくNHKが数秒間だけ入りました。苦労した分もあってか、その数秒の喜びは30年以上たった今でも覚えています。それがあまりに鮮烈だったため、その後電子工作の世界にのめりこんでいくことになりました。
乏しい小遣いやお年玉で「初歩のラジオ」や「ラジオの製作」といった本を購読しながら1石、2石、レフレックスとラジオもステップアップし。そのうちTTLを使ったゲームも作ったりで。
高校に入る頃にちょうどボードマイコンのブームの時代になって、雑誌も「ASCII」、「RAM」、「I/O」に移って、8ビットマイコンを自作したり。そのまま工学部に入って、そっち系のメーカに就職して設計業務に就いて、という道を歩んできました。
そういう方向性を与えてくれた「学研の科学」には感謝しており、その休刊には本当に寂しさを感じます。
また寂しさだけでなく、ちょっと不安も感じてます。「学研の科学」は子供達に科学技術を実地体験させるよいきっかけだったと思います。分野は違っても何らかの技術分野への方向性を得た人は私の他にもおられるのではないでしょうか?そのきっかけの一つが無くなったということで技術分野を志す人が減ったりしないものか。。。と。
仕分けとやらでスパコン開発やiPS細胞研究の予算カットのニュースを見て、技術立国日本の将来は大丈夫かいな、と思っていたところに休刊のニュースを見てさらに落ち込んでしまいました。
できましたらすべて杞憂でありますように。
以上
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