この資料は元ブラジルの組み手キャリーさんから寄せられたものです
光玉の死後、二代目の地位をめぐって紛争が発生し、裁判沙汰になったわけですが、この裁判に関し、昭和59年11月17日の宗教法学会において、大野正男弁護士による研究発表がなされ、文章にまとめられ、昭和61年に発行されています。主に大学図書館に保管されています
真光の業・私の体験記とあわせてご覧ください。(25)-(42)などの数字は原本の頁、画像をクリックすると大きくなります


(宗)世界真光文明教団代表役員地位確認請求事件
 --教義に関する事項を含む紛争について裁判所の審査権はどこまで及ぶか‐-
          大野正男 弁護士


ただ今、ご紹介に預りました大野でございます。今ロ、報告をするように、ということは、川島先生からお話があったのですが、初めに具体的な内容に入る前に、何故このテーマを選んだのかということについて、若干述べたいと思います。

問 題 の 視 点
一つは、今目ご報告する事件は、宗教法人の内部紛争に関する事件ですが、この種の事件は、最近非常に増えているからであります。統計的な数値をあげることはできませんけれども、この事件は最初東京地裁の民事第八部、
通称商事部に係属しました。東京地裁の八部というのは、会社関係の事件を扱う専門部なのですがそこの裁判宮がいうには、今は株式会社に関する事件は少なくなって、学校紛争と宗教紛争の事件か多い、今や商事部は宗教部に化した、という話をしていました。ですから宗教法人の事件で裁判間題になっているのが、多くなっているようです(25)


二番目に、この事件を取り上げました理由は、午前中に安武先生がご報告になったことと、密接に関連しているのですが、宗教紛争に関する、裁判所の判例の最近の流れが、我々実務家にとって、非常に重大な意味を持っているからであります。それは二つの点でいえると思うのですが、特に昭和五五年以降、この種の事件について、最高裁判所が極めて重要な判決をしているのは、ご存知の通りであります。そして今後、判例の流れがどのような方向へ動いていくかについて、まだ十分な予測がたちえない段階にある。それだけに現在の判例が今後この種の問題に及ぼすであろう影響を今のうちに十分検討しておく必要があろうかと思います。その二は、この争いの対象になった宗教団体の代表者の地位の問題ですが、宗教法人の代表役員に教主とか、あるいは住職とかがなるとされているときに、その地位の有無を裁判で争えるかという問題であります。
 そしてこれに関連いたしまして、代表者たる地位が争える場合でも宗教れの教義、教理に関する事項については、裁判所は審判権がないとされますが、どの程度「関して」いる場合に審判権がないのかという間題が生じます私が今口標記の事件を取りれげる角度は、第一の点であるよりは、この第二の問題についてでありまして、一体どこまで裁判所が、宗教紛争の判断に関連して、教理・教義に関する問題について判断することができるのか、あるいはしてはいけないのかという問題を考えていきたいと思います。従来の判例は住職という宗教上の地位については判断できないといいつつも、(26)


しかしそれが宗教法人の正当な代表者であるか否かなど世俗的紛争を判断する前提としてであるならできるのだという考え方が支配的であったと思うのであります。昭和四四年七月一〇目の臨済宗慈照寺の最高裁判決は、住職としての地位については審判権はないとしつつも、但し権利・義務関係を包括する意味で、住職の地位の確認を求めるならばそれは許されるのだ、といっておりますし、昭和五五年盲侃一日の曹洞宗種徳寺の最高裁判決も、ある法律上の紛争の前提問題として、住職の地位を争うのであれば、できるのだということをいっております。但し、この判決で新しく最高裁が付加したのは、その判断の内容が宗教上の教義の解釈にわたるような場合は格別、そうでない限りできるのだという点であります。さらに昭和五五年四月一〇ロの本門寺の最高裁判決は、前提事項としては、宗教活動上の地位に関するものであっても判断できるとしつつも、同時に、宗教上の教義にわたる事項については、裁判所がこれに立ち入って、実体的な審理判断をすべきでない、と判示しました。いったいこれらの判決の射程距離が、どこまで及ぶのかということですが、以上の判決は、理論上のニュアンスは異なりますがいずれも実際には、代表者の宗教上の地位の存否について、あるいはその選出の方法について判断を示しているのであります。ところが初めて世俗的紛争の形ではあっても、教義教理の当否が争いの中心となっているときは裁判所の判断にはなじまないという判決がでました。昭和五六年四月七日の創価学会板まんだらの最高裁判決であります。ここでは裁判所は紛争の実質判断を全くしなかったのであります。これは非常に重要な意味を持っておりまして、この判決が、どういうような射程距離を持つのかという点は、実は今後の司法上の非常に大きな問題であります。しかもこの最高裁判決の考え方を宗教上の地位の内部紛争に、直接適用したのが、静岡地裁の五八年三月三〇日、曰蓮正宗の法主に関する事件の判決であります。
そうなってまいりますと、いったいいわゆる宗教紛争のうちのどのような事項が宗教上の教義解釈にわたるような場合にあたるのか、言葉だけで中しますと、「教義の解釈にわたるような」ということがどこまで及ぶのかが、大問題となってくるのです。(27)


と申しますのは、現在における宗教団体の内部紛争というのは、必ずしも直接に教義のm解釈をめぐっておこっている聖的なものではなく、もう少し生々しい、俗的紛争の様相を、濃厚に持っているからであります。
つまりどこまでが聖であり、どこまでが俗であるのかということが混然としているというのが、私共の目の前にある現実の紛争の実相であります。それは実際には、現在紛争が起こっている色々な宗教団体においては、ある時には聖なるものを俗とし、ある時には俗なるものを聖とするような傾向があるから、こういう紛争が起こってくるのであって、それを法律家が截然と区別しなければならないというのは至難の技であるからであります。そういう点から申しますと、今日ご報告申し上げる事件は、いったいどこまでが聖で、どこまでが俗であるのか、そこで具体的な事件に入らせていただきますが、この教団は世界真光文明教団と申しまして、昭和二六年に岡田良一という方が創姶したものであります。これは宗教法人になっておりますが、代表役員は、この教団で甲しますと、「教え主」がなるということになっております。世俗的地位である代表役員と宗教Lの最高の地位が分化していない団体でございます。この地位は、初代の教え主は問題ないのでありますが、二代目の地位をめぐって紛争が発生しました。宗教上の地位をめぐる紛争は跡目争いのことが多いようでありますが、この教団の規則によると後任
これは私が原告代理人を務めた事件でありますが、私にはいまだにはっきりわからないのでありまして、具体的な事案を通して、諸先生方のご批判、あるいはご意見を賜わらせていただきたいと思います。(28)


二 具体的な紛争の経過

そこで具体的な事件に入らせていただきますが、この教団は世界真光文明教団と申しまして、昭和二六年に岡田良一という方が創姶したものであります。これは宗教法人になっておりますが、代表役員は、この教団で中しますと、「教え主」がなるということになっております。世俗的地位である代表役員と宗教Lの最高の地位が分化していない団体でございます。この地位は、初代の教え主は問題ないのでありますが、二代目の地位をめぐって紛争が発生しました。宗教上の地位をめぐる紛争は跡目争いのことが多いようでありますが、この教団の規則によると後任の教え主は、(28)

これを二代というのでありますが、現在の教え主が指名したものをもって当てるとあり、指名していない場合には、責任役員会の互選という定めになっていたのであります。
 
ところで、昭和四九年六月二三目に、岡田良一という初代の教え主、つまり宗教法人の代表役員が脳溢血で死亡いたします。その二目目に通夜が行なわれました。どうも宗教団体におきましては、よく通夜に問題が起こるようでございますが、この時に、この岡田良一には養子がありまして、これは甲子という女の方ですが、この養女が先代からいわれていたといって二代の指名のあったことを教団幹部の人に話をした。その時の模様は法廷では詳しく証言されていますが、通夜の席に幹部が五〇人ぐらいいたところへ、情集まってくれということで一室に集まりましたところが、その岡田甲子は、こういうことをいったのであります。「実は、先代が亡くなるズ‥」日前の六月一三目の朝に、私は先代に呼ばれた。神殿に呼ばれて、その席で先代の岡田良一はきびしい顔をして、自分は神様に怒られた、昨目、神様との対話があったが、神様に非常に叱られたと。」というのは、この教団は本山をつくることになっておりまして、熱海でその本山を建てる計画をしていたのですが、なかなか建築の許可がおりないので初代は困っていた事情があります。「夜中に神様が出てこられて、初代に『遅い、遅い、大和人遅い』とこう申された。
神様にしかられたので、これから何とかしなければならない。こういう話が私甲子にありました。そこで私は、初代が怯えておられるのでこわくなって『お父様にもしものことがあったら、どうすればよろしゆうございますか』と尋ねました。そしたら初代は、『私に万一のことがあったら、二代は関ロさんにお願いせよ』こう言われました。
そして自分が肌身にかけている御霊、それを外して自分にかけて下さいました。『これは二代用の御霊である』そういわれた。もう一つ、ついでに私に渡して『これは父の御霊である』といわれた。つまり二つの御霊を渡して下さった。このように私は二代用の御霊をお預りしています。おそろしいことでございますので、早く関ロさんにお渡ししたい。」こういう風に甲子さんは皆にその席ににで述べたというのであります。(29)


 幹部五〇人全部がそれを直接聞いておりましたので、だいたい正確に、その話の内容を復元できます。そしてその翌目、初代の遺体の前で、甲子さんから関□さんへ二代の御霊というものを授受されるのであります。関□さんが受け取った御霊はどうか、どんな物であったかというのが①の写真です。これは実は、アメリカのT八六六年の、金貨を首飾りにしているようにみえます。しかし実は、これは金貨そのものではないので、中が開くのです。これはスイス製の高級時計なのです。スイス製の時計の中に、先代の書いたその「聖」という字が入っている。それがご神体なのです。このことは後に訴訟になってから発見されたことです。甲子さんによる二代発表とおみたまの授受がありましたから、二代の指名を受けたということで、皆も関□氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。六月二六日に、この御霊を受けてから一週間も経たない、七月一日に、責任役員会が開かれました。関□氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。甲子氏を含む五名の者が、責任役員会を開いて、教団の規則に基いて岡田甲子を代衷役員に選任して、登記をしてしまったのです。
しかし、そのことは当時五人の者以外誰も知らないし、登記を行なわれたことも、この教団の人たちは知らなかった。七月一三日の日になって、初代の正式の葬儀が日本武道館に集まって葬儀を営むのでありますが、(30)


その時に二代の発衷がありまして、初代は二代を関ロさんにお願いしなさい、こういうことを言われましたという発表が行なわれました。その時の状況を写したのが写真②であります。上に飾られている写真が、亡くなった岡田良一という初代でありまして、その下で挨拶をしてモーニングを着ているのが、関口氏で、二代に指名されたのに対して受諾の挨拶をしているところです。武道館は、超満員になるぐらいの状況でした。このような中で二代の発表があったので、その後、色々な儀式は関ロ氏が二代として行なっていたのであります。
 ところが、一部の人々はその後甲子氏を何とかしなければいけないのではないか、霊と肉を分けて、関ロ氏の方は肉の方を、甲子氏の方は霊の方をやったら等という、色々な提案がなされますが、八月二日になって関□氏は、甲子氏から初代の本宅である熱海に呼ばれるのであります。

そこで関口氏と甲子氏と二人だけで会います。そうすると甲子氏が関□氏に対して、こういう御神示がありましたよ、といって本人に見せたものがあります。それが写真③です。これはある文章の上と下を白紙で隠して、真中の字だけをコピーしたものです。非常にわかりにくいのですが、カツコの中は「ヨのみ霊をもちて娘に与えよ」と書いてあります。後はちょっと判読できません。この紙を見せて、甲子氏は白分が後継者の指名を受けていたという趣旨のことを、非常にあいまいな形ではありますが、関□氏に言いました。(31)

この時から紛争が表面化するのでありますが、一体この紙は何を意味しているのでしょうか。「ヨのみ霊」というのは、教え主の地位を指すのだと言う人もいます。確かに教義上、「ヨの御霊」というのは、そういうふうに解釈できなくはないような箇所があります。「ヨ」というのは、教義に入って恐縮でございますけれども、現世を支配している霊魂をさすようであります。この教団の教義によりますと、アイウエオ、カキクケコと支配する霊魂が変わってまいりまして、今「ヨ」の世界で、その次はラの世界になるのだそうでありますが、「ヨ」は現世を支配する霊魂を指すものであるというのであります。しかし、この文章に続く筈の上も下もかくされていてわかりません。(32)


その後、教団のお祭りが行なわれた時に、初めて甲子氏と関ロ氏の間でどっちが上座に座るのかということで、言い合いになったことがあります。その時は、関□氏が後に入り、甲子氏が先に入りますが、お祭の主祭は関口氏が行なうという妥協が成立いたしまして漸く会が開かれました。そして数日後に、関ロ氏は写真④のような通達を皆に出しました。これは大変、わかりにくいと思うのですが、依命伝達書というのであります。ざっと読みますと、「初代教え主様生前の御遺言により、下記の通り御神示を伝達します。ヨの御霊もちて娘に与えよ、四九年六月百百御神示、
 恵珠様(注・甲子のこと)の使命、及び任務について、地上の代行者である。よってご神事一切を行なう。したがって教団全般を総括し、掌理する。よって教団規則上の代表役員である。
二代様のご使命、及ぴ任務について、二代様とは、世界本山建立と布教、宣伝拡大の陣頭指揮者であり、表面に立たれるミヤクである」
云々と書いてございまして、こういうものを秘書課長が持ってくるのです。
 この秘書課長というのは、甲子派の推進者の丁人で、これにサインをしてくれということで、上の方に○というのは、関口氏が見たという印で、これによってこの通達書が道場長、その他に配られることになりました。そしてこの日以降は、甲子派が教団の本部を占拠して、関口氏は追っ払われて別の場所に行くということになりますが、これはあまりにひどいではないかということを、幹部の一部、特に六月二五日の通夜の席で聞いている幹部等の何人かは非常に怒りまして、これでは教え主の地位を僣奪されたようなものである、こんな変なことはあるはずがない、黙っていてはこの教団は駄目になる、といって関ロ氏に理非をはっきりさせるよう迫ります。そこで関ロ氏は自分が教団の教え主であるということを甲子側に言い渡しましたが、もちろん向うは聞かない。(33)


四九年の九月一九日になって、東京地裁に代表役員の地位を定める仮処分を提訴したわけであります。
 提訴いたしますと、その審理を通じまして今中し上げたような経過は出るのでありますが、裁判所は「御神示というのは、何ですか。コピーではないか。もっとはっきりしたものを出せないのか」こういうことを甲子例に何回もいうのですが、甲子側はなかなか出し渋っている。そして仮処分の一番最後に出したのが二枚ございます。それをご覧に入れます。
 写真⑤が表書でございまして、四九年六月コニ日午前二時、久方ぶり重大神示と書いてあります。これは先代の岡田氏の字であることは、ほぼ確認のできるものであります。これが表書です。次の写真⑥が本文の最後の一枚です。これは「思い出さしめん為、しばし仮にヨだけ秘かに持ちて、ヨの御霊をもちて娘に与えよ、間に合わずこの地、時を待て、八月一〇日二七、所与えられん。思い立ったら吉日よ。もう一度他の仕組みで力 外に うまくそらさんも」というのです。(34)



 この二枚の紙を出したのですが、法廷にはこの原本の御神示綴りを持ってきました。その原本には、四、五枚の御神示が綴られているのですが、その一番先とこの一枚分だけを開いて、後は全部封印して提出したのです。裁判所がどうしたのか、と聞きましたら、これは宗教上の秘文であるから、他の個所は見せるわけにいかない、何が書いてあるか白分は知っているけれども、それを言うわけにはいかないと、甲子氏はその部分の供述を拒否したので
あります。(35)


三 裁判所の「秘文」についての判断

さて、このような経過を辿ったなかで、裁判所が、この「御神示」すなわち宗教上の秘文に関してどのような判断を示したか。一番先に出された五〇年七月二四日東京地裁の地位保全仮処分判決はこの点につき、次のように判示しました。
  「初代が作成したものであると認めることができる乙第一号証の一、二(注、写真⑥)…によると、一見、初代は、『ヨのみ霊もちて娘に与えよ』という表現をもって、その養女である岡田甲子を教団の教え主に指名したものと解する余地があるように見る。
  しかし『ヨのみ霊もちて娘に与えよ』という記載が昭和四九年六月回百に作成されたものであることは、その記載自体から直ちに認めることができないのみならず、その表書きとの編綴形式からは、必ずしも、その本文が表書きと一体をなす文書と認めるに足りず、また、その本文の記載の意味内容は、その前後の一連の文章の内容および関連性を十分に吟味して把握すべきところ、(35)


その前後の文章の内容および関逓性が本文だけからでは明らかであるといえないし、これが明らかにすることが物理的には可能であるにもかかわらず、それか神示であることを理由として、その前後の文章か記載されている文書の提出を岡田甲予側で拒否していることは、岡田甲F本人尋間の結果に照して明らかであり、このような場合には、その前後の文章の内容および関連性を顧虚することなく、初代が岡田甲jを教団の後継教え主に指名したと速断することはできないといわなければならないLつまり、この秘文はちょっと見ると甲子を教え主に指名しているようにもみえるけれども、表書きとの関連性も分らないし、前後の文章もわざと隠しているのだから、それをみなければ分らない、全部出せば判断できるけれど、全部出さないから駄目だとこの判決はいったのです。
 次に、この仮処分事件の控訴審である東京高裁昭和五二年三月三一目判決はこういっています。
 「神示は、たとえ宗教団体の内部にあっては批判を許さない絶対的権威を有するものであるとしても、司法裁判所の訴訟において、それが役員の任免その他地位に関する当事者の主張事実を裏付ける証拠となりうるためには、裁判所の判断に服さなければならないことは当然であって、単に神示であるという一事をもって裁判所の判断を排除しうるものではない。それ故、問題は、専ら、本件神示に前記発表(注、六月二五日に行なわれた幹部通夜での甲子の発表をさす)の内容の真実性を合理的に否定するだけの証拠力が認められるかどうかの一点にかかっているものといわなければならない」としまして、岡田甲子自身その発表が間違っていたことが分ったなら直ぐ訂正すべきであり、その機会も十分あったのに正式訂正をしていないことなどをあげて、その発表の内容の真実性を否定できないとして次のように結んでいます。「以上の説示によって明らかなごとく、本件神示には前記発表の内容の真実性を合理的に否定するだけの証拠力は認められないといわざるを得ない。されば、法定証拠主義を採用していないわが国の民事訴訟法の下においては、単に本件神示が存在するという(36)


一事をもって、前記発表の事実を抹殺し、関ロ栄の被保全権利を承認しないがごときことは、到底、許されないものといわなければならない」
 このように、高裁判決は、通夜の際の二代発表という世俗的に理解しうる事実によって関□氏に後継教え主指名があったと認定し、御神示を他の証拠同様一つの証拠方法に過ぎないとして、その証明力を検討し、結局、通夜の際の発表内容の真実性を否定しうるような証明力を有しないと判断したのであります。御神示だからといって、証拠判断をする上で特別の配慮を加えることなく、世俗人である裁判官の理解しうる範囲において、他の証拠同様その自由な心証により証明力を考えればよいというのが、高裁判決の基本的考えでありましょう。それで良いかどうかが、私の今日のお話のテーマであります。
 そこで最後の問題に入る前に、この御神示が、その後どうなったかについて、若干触れておきたいと思います。この事伴は仮処分だけでなく、本訴も係属しており、第一審は東京地裁で、仮処分判決同様の理由で関□氏が勝訴しました。そして甲子側が控訴して東京高裁に係属したのですが、この段階になって、甲子側は、遂に御神示の全文を裁判所に提出したのです。その一部が写真⑦です。これだけではよく分かりませんが、翌朝初代が書き直したとこ
ろによると次のようなものでした。(37)


  二二目午前一一時お伺い 午前十時起きていそいで書き直し
 回二日二時 一一時と思う
幸子に「あす。一時だよ」と
一三口夜
 神起し賜う神前へこい 一三日午前二時急ぎ着かえて神前へ しばらくくちやくちや 御聖地と造営着手御伺い
考え考えよ しばし右横へ 方向
 守るよ 高天原守らむなれど 時悪し
神守るなれど
遅いよ/ヘ アマハラ 鎮護せしめん
吐なり
ヤマト人 遅いよ/へ 時悪し
 しばし 時を見よこ一日夜のこと金星すてぬなれど ここ運つきよ)
神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ
 玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に
ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ
 間に合わず 此地 時をまて
 8月10日一一一一
 所 与えられん
  思い立ったら吉日よ
もう一度 ほかの仕組で 力外に うまく そらさんも」(38)



一体この文章は何を意味しているのか。甲子さんは控訴審に出廷して、「本山の造営が遅れているが、今は時が悪い、娘を二代とせよ、災害がおころうとしているが、皆の力で外へそらさせよう」というのがその意味であると証言しました。
 関口さんも同じく法廷で「本山の造営が遅れているが、今は時が悪い、本山はクライ山(高山の方にある)に移すことにし、とりあえず熱海にある三つの神霊のうちヨだけ秘かに娘にもっていかせなさい。熱海での本山造営は暫く時をまちなさい。災害は皆の力で外へそらさせよう」という意昧であると証言しました。両者、肝心の部分の解釈は全然違います。このような場合、裁判所はどれだけ立入ってこの「秘文」の解釈をすべきなのか。全くふれてはならないのか。ふれなかったときは、「秘文」はないとして判断するのか。あるいは秘文
所持者の主張するとおりに判断すべきなのか。大いに興味深いところでありましたが、この事件は裁判長からの強い勧告により和解になりました。この和解において、関口氏が二代教え主として教団の代表役員であることを甲子氏が認めて控訴をとり下げましたので、関口氏が代表役員であることを認めた一審判決通りに確定しました。裁判長はこのような線で和解を職権勧告したわけ
ですから、その心証は一審通りであったと思われます。しかし和解でありますので、当然のことながらその心証形成の過程は表示されないままに終りました。(39)




四 問 題 点

以上が、事件の内容と、それに対する裁判の経過であり、特にその中で、甲子氏側が主張した「秘文」に関する(39)

 裁判所の判断の仕方をのべてきましたが、本件を、代理人という立場を離れてみますと、いったいこの時に、裁判所はどういう判断をすべきなのか、大変問題であったと思います。
 先にのべました昭和五五年以来の最高裁判所の判決、特に「まんだら」の判決の延長線上で考えた時に、はたして今後、この種の紛争についてどのように考えるべきなのかと、深刻に考えざるを得ないのであります。
 つまり板まんだらの事件、あるいは日蓮正宗の静岡地裁判決のような事件も踏まえて考えますと、宗教上の秘事・秘伝によって後継者の選任を受けたと当事者の一方が主張をした時に、主張だけでもう司法判断は回避されるべきなのかどうか。主張だけで司法判断を回避するのが無理だとすれば、後継者の指名としてなされた行為が、宗教上の秘事・秘伝になるということを立証する必要があるのか。その場合でも指名行為が外形上存在したことの証明は必要ではないのか。また、指名行為の具体的内容が宗教上の秘事・秘伝に当るので、それ以上の内容は言えないことについて、少なくとも俗的にみて合理的な理由があるのだということまで証明しなければいけないのかどうか。これらのことが当然問題になると思います。
 一つの極端には、宗教上の教義事項とか、宗教上の秘事であるとかいう主張があれば、もはやそれ自体として司法判断になじまないという考え方もありましょうが、どうも私のような実務家には不安が生じます。というのは、この事件でも感ぜられましたように、故意に教義的粉飾をこらすということもありうると思われるからです。しかしもう一つ、反対の極端には、先程の神示の意味内容についても立入って判断すべきであるとの考え方もあるでしょう。しかしこれまた逆に宗教論争の渦中に裁判所が介入することによって、不当な結果を招来することになります。
 この二つの極端の中間に妥当な線が存在するのでしようが、具体的に何処に線をひけるかというとかなり難しい、(40)


ケース・バイ・ケースにならざるをえないかもしれません。
 しかし、宗教団体に関する紛争といってもその実質は、多分に跡目争い、財産争いという世俗的紛争を伴っていることが多いのですから、できうる限り教義解釈や宗教的秘事の内容に入らずに、世俗的に十分理解しうる諸事実
を判断することによって、裁判所は紛争に対する実値判断をすべきではないかと思います。
 本件では、最初に「秘文」があったわけではない。幹部通夜での発表があります。武道館での葬儀の際の発表があります。これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意味を理解できることです。
 ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、「御神示」なるものを法廷にもち出した。この時に考え方が分かれると思うのです。もし裁判所が判断を回避すべきだとした時に、その法律上の効果はどうな
るか。
 例えば統治行為論というのがあります。砂川事件の時最高裁がとった考えですが、高度に政治的な行為については、司法判断はなじまないとするものです。この場合その政治的行為の違法合法について裁判所はふれないわけで
すから、結果としてはその政治的行為は是認されたのと同じ効果を生じます。
 その統治行為理論と同じように考えたときに、「御神示」の内容は主張者の言う通りだとして認めるのでしょうか。それとも「御神示」に関する主張にはふれない、つまり、なかったとして扱うのでしょうか。前者であれば、
甲子氏勝訴です。後者であれば関□氏勝訴です。正反対の結果が生じてしまいます。
 私は、このような次元でいきなり「判断回避」をするのはおかしいのではないかと思います。やはり、理解可能な世俗的事実からえられる心証を中心に考え、もし「御神示」が甲子側がいうように解されるとすれば、その後の甲子側の行動に矛盾がないかどうかを判断すべきでしょう、そういう形で間接に「御神示」の内容が、果して甲子さんを二代に指名するものであったか否かを判断することは、本件では可能であったと思いま
す。その意味で、私は、仮処分の東京高裁判決の判断は正当であったと考えます。
 つまり、御神示の内容について教義的解釈をすることは許されない。しかし、御神示の内容が主張者の言う通り
だとすれば、その他の世俗的諸事実と整合的であるか否かという形での間接的判断は許される。そして整合的でない場合には御神示の内容が主張者の言う通りでないと判断することも許されると思います。
 しかし、もし他に重要な世俗的間接事実が存在しないか、存在してもそれだけでは心証がとれず、「宗教的秘文」の内容のみが、紛争判断を左右するような場合には、宗教法人法八五条の趣旨に則りその内容を判断すべきでなく、
従ってその紛争につき裁判所は判断しないことになります。裁判所は信仰の内容が実質上の争いになっているようなことに介入すべきではありません。それは世俗的権力である裁判権に課せられた制約であります。
 もし、本件で「御神示」の内容のみが、何れが教え主すなわち代表役員の地位にあるかを決める唯一の判断事項であったとすれば、裁判所は、その判断を回避し、関ロ氏の請求を棄却(あるぃは却下)すべきだったでしょう。
 私としては、現在のところ、一応このように考えておりますが、冒頭に申しましたように、その点に関する判決はまだ過渡期でありますし、色々な考え方が成り立ちうると思います。御批判を期待して報告を終らして頂きます。(42)